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〈帰国子女体験記:鈴木萌さん〉その5:アメリカの小学校生活~イベント編

カンザスの小学校のイベントや学校行事には思い出深いものがたくさんありました。

学校行事で一番印象に残ったのはタレント・ショー(Talent Show)です。全校生徒およそ500-600人ほどの前で特技や漫談、バンド演奏などを披露するイベントでした。

漫談(Stand-up comedy)やバイオリンアンサンブル、ダンスなど様々あったなか、とてもショッキングでかっこよかったのが、クラスメイトの女の子たちのビートルズのコピーバンドでした。いつも私をフォローして助けてくれていたリアがバンドにいたのです!ビートルズの”Day Tripper”と”We Can Work It Out”を披露してくれました。

リアはタンバリン担当で、それまでタンバリンを楽器として認識したことがなかった私は、生まれて初めてタンバリンの重要性に気がつきました。帰宅後はまっすぐピアノに向かいDay Tripperのベースのイントロをおさらいしました。

親の影響で私はクラシック音楽しか聞いたことがなかったので、初めてのロック体験がビートルズだったのです。その日からビートルズの全てを知りたくなった私は、お小遣いをためてはアルバムを買って、リアともビートルズの話をしたくて夢中になりました。少し口ずさんでいるだけで周りの大人が国籍にかかわらず懐かしがることに子供ながらにビートルズってすごいなあ、思いました。

ハロウィーンもやりました。低学年の子供達は何を着てもかわいいのですが、小学校6年生は多感な時期もあってか仮装をしない子もいました。私自身は、ハロウィーンの日は全員仮装しなければならないと思っていたので、全然乗り気ではありませんでしたが親が買ってきた薄い(しかも寒い)魔女のコスチュームを着て登校しました。

仮装をしていたクラスメイトは力作ばかりで、他の子は普通の服だったりしたのでなんとも微妙な1日でした。力作を観れたことはとても楽しかったしお菓子ももらえたのでよかったです。 帰宅後は今度は家族みんなで地域を回ってお菓子をもらいに出かけました。当時5歳だった弟よりも大きいJack-o-lanternを手作りしていたり、家の外壁に蜘蛛の巣の飾り付けをしていたり、本当に豪華でした。

ハロウィーンが終わると、ESLクラスではThanksgivingに向けてのレッスンが始まりました。8月に転入して、まだ11月。まだまだ英語は日常会話でも大変な時期ではありましたが、その中でもThanksgiving, Pilgrim Fathers, immigrantsという単語をなんども本を読みながら覚えました。全くわからなくても毎日繰り返し聞くと、いつの間にかアメリカの移民の歴史を学んで答えられるくらいになったのです。

ESLクラスでも学んだ語彙とスペリングのテストがありましたが、衝撃的なスペリングゲームがありました。Hangmanというゲームです。単語を当てて、スペルを間違えていくと、、、首吊りの絵が出来上がるという、、、初めて見たときは子供ながらに「小学校でこんなことしていいの??!!!」とショックでした。でもショックはつかの間で、友達同士でも兄弟同士でもハングマンでスペルゲームにはまりました。現在でも小学校ではやっているのでしょうか。

日本でいう、遠足Field Trip もありました。みんなでスクールバスに乗って、アスレチックに行きました。バスの中では、音楽の授業で習った”Mr. Touchdown, U. S. A.”や”Watlzing Matilda” マライア・キャリーの“Fantasy”などみんなで歌いました。日本の小学校の遠足でもバスの中でみんなで歌ったことを思い出し、どこの国でも遠足は歌いたくなるのかなあと思いました。

5月には卒業式がありました。日本のように整列して正装して、涙を流して、、ということは全くなく、みんなで写真をとったり、寄せ書き(メッセージなし、名前のみが多かった)したりしました。卒業イベントで6年生全員約90名で屋内プールに行ったのですが、泳がずにプールサイドにいる15名ほどのほとんどは黒人でした。私の通っていた小学校はとくに白人が多い地域だったのだと思います。現に当時私のクラスには一人しか黒人の子はいませんでした。

メキシコからの移民の子たちもグループになって、白人や他のことはあまり交わっていなかったと感じます。普段の生活では「これは差別なのか、たまたまなのか」わからないこともありました。私自身、クラスメイトたち(白人)がヘアセットをしてくれるとヘアブラシで私の髪をとかそうとしたときに「Don’t! That’s mine.」とヘアブラシの持ち主の女の子に言われ、ブラシを取り上げられたことがありました。これも彼女がアジア人を差別してたのか、それともたまたま彼女が私を嫌っていたのか、、おそらく差別でした。

O.J. Simpson裁判では無罪であんなにみんなで喜んだのに、差別はおかしいとわかっていても、どうしても差別がやめられない人もいるのかも、と考えさせられました。いまでもオリンピックの水泳競技を見るたびに卒業式のプールのことを思い出すのです。


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